なりたち

【昭和21年5月】 栃教組の発足と運動

 栃木県教職員組合(栃教組)は、県立宇都宮高等女学校(現宇女高)で結成大会を開き、県下の小・中・高校の教職員1万人が参集しました。

【昭和26年4月】 高教組の発足

 栃教組内の高校部を中心とした約1,500人の組合員は、栃教組を脱退し、名実ともに分離した新しい組合運動をスタートしました。
 現在栃高教組は、日高教麹町派として「不偏不党・是々非々主義」の立場にたち、主体性を堅持し公務員共闘に結集する中で、運動を展開しています。

【昭和33年2月】 栃教組勤評反対闘争から教育正常化を目指し、新しい教職員団体発足へ

 県庁前広場は、この年5月より実施される勤評反対の大会のため、県下各地から参集した約3,000人の教職員と赤旗で埋まりました。県教委との交渉は平行線をたどり、大会はますます緊迫した状態が続きました。これに対し県教委は実施の時期を若干譲歩し一応の危機は避けられました。
 その後も各市町村の支部ごとに反対闘争は強力に推し進めましたが、その効なく勤評は実施されました。
 激しい勤評反対運動から、宿日直差額請求訴訟・安保反対闘争・学力テスト反対闘争、さらには政治闘争の活動に疑問を感じた教職員は、県内各地に不満の態度や行動を現しました。そして、新教職員団体の発足に向けての気運が高まってきました。

【昭和38年11月】 栃木県教職員協議会の結成

 本県教育の正常化をめざし、下野教育の振興発展を念願する教職員は、市町村単位に「教職員団体」を結成しました。昭和38年11月30日(土)午後3時30分、県内各団体から68人の代議員が宇都宮市立西小学校に招集され、本県教育の流れをかえる「栃木県教職員協議会結成大会」が開かれました。議事において、規約・選挙規定・綱領・運動方針・スローガンが議決され、役員の選出、大会宣言を採決して歴史的な結成大会が閉会しました。初代会長には渋江義郎氏が選ばれました。

【昭和41年5月】 国内法改正による現在の形の栃教協の誕生

 ILO第87号条約関係国内法改正に伴い、労使不介入の原則にたち、管理職と一般職の職員団体分離のため、栃木県学校管理職員協議会(栃管協)が結成され、栃教協と分離しました。第1代会長に前原範三氏、事務局長に楡木定治氏が着任しました。

【昭和42年12月】 会旗・会歌の制定

 宇都宮市スポーツセンターに1,488名の代議員を集めて、結成5周年躍進大会が開催されました。記念事業として会旗・会歌が制定されました。

【昭和45年6月】 栃教協と日本教職員連盟の発足

 昭和45年6月28日、全国36都道府県38団体の同志が集まって、日本教職員連盟(日教連)の結成大会が開かれました。 初代委員長には、前原範三栃教協会長が選ばれ、名実共に栃教協は全国教育正常化団体の中核となりました。

【昭和47年11月】 栃教協結成10周年躍進大会

 昭和47年11月26日、宇都宮市立中央小講堂において結成10年躍進大会が開催されました。
 篠崎会長が日々の教育実践活動の充実と教育専門職としてふさわしい社会的地位の確立と給与・勤務条件の改善に勇気を持って邁進しようと述べました。

【昭和57年11月】 栃教協結成20周年躍進大会

 昭和57年11月28日、県教育会館大ホールにおいて、結成20周年躍進大会が開催されました。平本光男会長が、教職員が専門職としての道を確立し、結成の原点を再確認して本県教育の進展と栃教協躍進のために邁進しようと強く決意を述べました。

【昭和59年2月】 全日本教職員連盟の結成

 昭和59年2月26日、日本教職員連盟(川崎哲夫委員長)と日本新教職員組合連合(弘中勝彦委員長)が3年越しの討議を結実し、東京・千代田区のダイヤモンドホテルにおいて「全日本教職員連盟結成大会」が開催されました。昭和55年以来、教育専門職を自覚し、中正不偏の教育を実践しようとする全国の同志が結集し、「美しい日本人の心を育てる教職員団体の創造」を目指し、ここに全日教連の結成にいたりました。

【平成4年11月】 栃教協結成30周年躍進大会

 平成4年11月22日、県教育会館大ホールにおいて、結成30周年躍進大会が開催されました。
 加藤秀男会長が、改めて結成の原点をみつめ、県民及び保護者が、教育に期待し求めているもの模索し、信頼される教育実践に努めるとともに、魅力ある組織をつくりあげようと、今後の栃教協のあるべき姿を力強く述べました。

【平成14年11月】 栃教協結成40周年躍進大会

 教育専門職としての立場を確認し、中正不偏の教育、給与・勤務条件の改善を目指して昭和38年に結成されて以来、40周年目を迎え、平成14年11月17日、ホテル東日本宇都宮において栃教協結成40周年躍進大会を開催しました。田所徳光会長が良識ある職員団体としての地位を、確固たるものとして発展させていく決意を述べました。

【平成16年8月】 第21回全日本教連教育研究会全国大会(栃木大会)

 第21回全日教連教育研究全国大会は、平成16年8月7日(土)・8日(日)の2日間、宇都宮市において、延べ約3,200名の参加のもと、盛大に開催されました。この大会は、「『生きる力』を育てる教育の創造」を研究主題とし、8分科会において終始熱心に研究討議が展開されました。栃教協からは、第2分科会(学校運営)で教研推進委員会事務職員部が、第8分科会(心の教育・道徳教育)で教研推進委員会教員部が提案発表しました。また、記念育講演として本県出身の作曲家船村徹氏を講師にお迎えして、「我が演歌的人生考」という演題で、学生時代から作曲家になるまでのエピソードについて栃木弁を交えて話され、会場を笑いと感動で包みました。

【平成22年8月】 第27回全日本教連教育研究会全国大会(栃木大会)

 第27回全日教連教育研究全国大会(栃木大会)が、平成22年8月7日(土)・8日(日)の2日間、宇都宮市にて、県内外から延べ2,000人以上の参加を得て盛大に開催されました。
 1日目は、ホテル東日本において、8分科会に分かれ、各県代表の提案発表を基に活発な討議が行われました。夕方には、県外参加者を中心に、多くの来賓をお迎えし、同ホテルで記念レセプションが行われました。
 2日目は、教育会館大ホールにおいて、多数の来賓をお迎えし開会行事が行われました。続いて明治大学文学部教授齋藤孝氏による記念講演会が催され、最後の閉会行事をもって、2日間にわたる大会は幕を閉じました。

【平成24年11月】 栃教協結成50周年躍進大会

 平成24年11月17日(土)、ホテル東日本宇都宮において「栃教協結成50周年躍進大会」を盛大に開催しました。多数の来賓のご臨席をいただき、栃教協歴代会長をはじめ招待者、単位教協会長、連協会長、連協部長、栃教協役員が参加して、栃教協50周年を祝いました。斎藤智之会長が挨拶として50年の歩みの振り返りと将来に向けて前へ前へと進む栃教協の存在意義とこれからについて述べました。

【平成28年8月】 第33回全日本教連教育研究会全国大会(栃木大会)

 第33回全日教連教育研究全国大会(栃木大会)が、8月6日(土)・7日(日)の両日、宇都宮市において、県内外から延べ1,700人が参加し盛大に開催されました。
 1日目は、ホテル東日本宇都宮において、7分科会に分かれ、各県代表の提案発表を基に活発な討議が交わされました。その後の助言者ゼミナールでは、7人の指導助言者が、それぞれのテーマに沿って講演されました。夕方には、多くのご来賓をお迎えし、同ホテルで記念レセプションが行われました。
 2日目は、教育会館大ホールにおいて、多数のご来賓をお迎えし開会行事が行われた。続いて書道家の武田双雲氏による記念講演が催され、その後の閉会行事をもって、2日間にわたる大会が幕を閉じました。

【令和4年7月】 第39回全日本教連教育研究会全国大会(栃木大会)

 新型コロナウイルス感染症が発生し、世界的に猛威を振るい、日本も令和2年から社会情勢が大きく変わりました。全日教連教育研究全国大会も集合開催が難しい数年を過ごしてきました。
 第39回全日教連教育研究全国大会(栃木大会)については、社会情勢を考慮し、令和4年7月30日(土)・31日(日)にホテル東日本宇都宮、教育会館大ホールの会場に参集する形式とオンラインで参加する形式を同時に行うハイブリッドでの開催としました。全日教連として集合研修としては3年ぶりとなりました。両日で会場とオンライン合わせて延べ1,100人が参加しました。
 1日目は、ホテル東日本宇都宮において、6分科会に分かれ、各提案発表と質疑が行われました。その後の助言者ゼミナールでは、6人の指導助言者が、テーマに沿って専門分野の知見を話されました。
 2日目は、教育会館大ホールにおいて、多数のご来賓をお迎えし開会行事が行われました。続いて言語学者の金田一秀補氏による記念講演が催され、その後の閉会行事をもって、2日間にわたる大会が幕を閉じました。

【令和4年11月】 栃教協結成60周年躍進大会

 令和4年11月26日(土)、ホテル東日本宇都宮において「栃教協結成60周年躍進大会」を開催しました。新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止対策を取りつつ、多数の来賓のご臨席をいただき、栃教協歴代会長や専従OB等の招待者、単位教協会長、連協会長、栃教協役員が還暦を迎えた栃教協を祝いました。熊倉会長は先輩方が築き、発展させてきた栃教協をさらに盤石な組織にし、次世代の職員団体として躍進できるよう尽力するとともに学校がwell-beingな場所(子供よし、教職員よし、学校よし)となるよう尽力していくと述べました。